・個人のキャリアについて、会社がサジを投げるための方便
・キャリアの責任の所在を、個人に効果的に移管するフレーズ
・実は、個人にキャリアの選択権がないのにも関わらず、宣言だけがなされる施策
個人が自分自身のキャリアについて向き合い、キャリアをどう構築していくか?将来にわたってどのようにビジネスや仕事において活躍していくか?などを考え、自身の望む姿に向かってアクションしていくこと。これが、キャリア自律において理想とされる姿だ。個人が、将来的に理想とする姿や目指す姿を描き、そこに向かって努力し、行動していくことは、確かに素晴らしい。
しかしながら、この令和の現代でも、多くの日本企業では、このような思考や発言、行動は美徳されていないのが現実だ。実際、個人が、将来やその時点でどのような希望を抱いていようとも、会社として目指していること、それを実現させるために個人が担うべき役割を全うすることが一番大事である、とされている。さらに、仕事の時間を削ってしまうような学習時間の確保さえ、嫌がられるようなことも少なくない。なぜなら、会社組織や事業が成功し、成長することこそが最も大事であり、個人が目指すことは、その結果として得られるものである、という考え方が古くから存在しているためだ。もちろん、これはこれで間違っているとは言えない。むしろ、組織として大変な局面であればあるほど、個々人が自身の希望ではなく、社会や組織の要請に従って、協力し合い、ぐっとがまんしてその局面を打開していくというのは必要なことでもある。
ただし、気をつけたいことがある。それは、会社として人的資本経営の推進の文脈で、何となくいい感じのセリフとして、キャリア自律を唄ってしまっているようなケースだ。個人に本当にキャリア自律を求めるならば、その個人が望む姿を実現させることに、会社は全力でコミットしなければならない。専門能力を身につけたり、キャリア構築に必要な経験をさせることをためらってはならない。成長や利益確保のために正当化しがちな会社のわがままを、押し付けてはいけない。
「今はがまんしてください」「今は個人がキャリアを考えてください」そんな都合の良いことは通らないことを肝に銘じて、キャリア自律という考え方の浸透、そのための施策を講じていきたいものである。