・ジョブ型への移行=良いこと、となぜか信じられている不思議な施策
・日本では、実は誰も定義したことがない、不思議な施策
・対比的に使われるメンバーシップ型をなぜか揶揄する不思議な風潮
ジョブ型人事の最大のメリットとして、社員一人ひとりの職務や、期待される役割が明確になること、また社員はその職務遂行のための専門性を追求することに集中できるようになることなどが挙げられることが多い。しかしこれには、大きな前提がある。それは、事業の成功に向けてビジネスプロセスを効果的にデザインでき、しかもその時点で最も効果的な役割分担体制(すなわち職務)を定義することができなければならないのである。さらに難しいことに、その役割の担い手である人材要件も明確に定義できなければならない。また、このように、仮に役割を明確に定義でき、担い手となる人材を定義できても、そのような役割をちょうど担うことができる人材が社内に(マーケットにおいても)いることの方が稀有である。例えば、AとBのジョブがあったとする。担い手は、AジョブのA人材、BジョブのB人材というふうに定義できたとしよう。でも、実際には、Aジョブの一部とBジョブの一部であれば、担うことができるC人材しか確保できないかもしれない。
加えて、もっと難しいことがある。それは、とある時点で最適なビジネスプロセスと役割分担を定義できたとしても、それは、毎日(良い意味で)どんどんと移ろっていく。ポテンヒットのような仕事が発生することもあるだろう。さらに、AジョブとBジョブの内容が不変であったとしても、とあるタイミングでは、Aジョブの工数が足りなくなることもあるだろう。そういった流動的な状況をどうマネジメントするのか。その議論がないまま、役割は定義できる“はず”、そして人材も定義できる“はず”、そしてそれをマッチングすれば良いのであるという、静的なものの考え方は、ビジネス推進力の弱体化、組織の弱体化、そして同じ仕事しかしない人材の成長の鈍化・マンネリ化を招きかねない。
また、ジョブが定義されれば、社員のキャリアパスが描きやすくなるといった論調もあるが、これもまた、自社の事業が将来にわたって安定的でないと成り立たない考え方である。この時代に、数年先に現状と同じビジネスプロセスや役割分担で仕事をしているような企業があれば、それは衰退の一途を辿るであろう。
ところで、メンバーシップ型はなぜダメなのか。そこに人がいるので任せる仕事を考えるというのが、メンバーシップ型では行われると言う。確かにこれは、従業員のオーナーシップや自ら仕事を企画創造していく力を損なわせる。しかもこれからの時代、会社側・経営側が従業員に任せる仕事を考える(考えてあげる)ような組織では、早晩戦えなくなることが目に見えている。メンバーシップ型でも、ジョブ型でも、従業員が受け身的で、そこにあるもの(もしくは与えられるもの)をこなすといったことが当たり前になっているような組織から脱却し、従業員一人ひとりが、常にビジネスプロセスをブラッシュアップさせ続け、自ら役割を創っていくような組織づくりを目指していくことが求められるのであろう。