子供のスポーツの現場を観察してみると、まだまだ旧態依然としたシーンを見ることも少なくありません。それは、監督・コーチによる怒り・圧力により、ただただ子供たちをひるませているシーンです。
もくじ
Toggle指導する側は常に自らを省みることが必要
冒頭の絵をご覧ください。
どんなふうに見えましたか?
大げさに見えますか?
残念ながら、今でもグラウンドや体育館でよく見るシーンです。
週末、子供のスポーツチームの監督やコーチをやってらっしゃる方も多いと思います。どうでしょうか。この1か月、一度も高圧的な態度を取っていない、子供たちを一度も怖がらせていないと言い切れますか?あるいは、私は叱っているのであり、指導をしているのであり、そのときに子供が怯んだり、びくびくしたりするのは仕方がないと思っていませんか?もしかしたら、自分の指導や少しぐらいのきつい言葉には愛があるから大丈夫と思っていませんか?ちゃんと愛があれば、強いコミュニケーションをしても子供たちはわかってくれると思っていませんか?
子供のスポーツの現場で聞くリアルな声がけ
とある休みの日。よくランニングや、ウォーキングをするのですが、グラウンドの横を通ると、監督やコーチの声が聞こえてきます。そして、残念ながらこういう声を聞くことも少なくありません。ちょっと、最近、いろいろなグラウンドを巡って、そういった声を記憶してきましたので、以下に少し記してみたいと思います。普段あまり馴染みのない方はびっくりするかもしれませんが、これが日常ですので、落ち着いてご覧ください。
【レベル1】(言っている方も、親でさえ、仕方ないと思っているフレーズ)
・おいっ、何やってんだー。
・さっきからゆってるだろー。
・何回ゆったらわかるんだー。
・なんで走らないんだー、そこー。
・ここで点とられたら意味ないだろー。
・やる気あんのかー、そのプレー、そこだろー。
・どんなけチームに迷惑かけたらわかるんだー。
・集中しろー、ここ集中しないでどうするんだー!?
・そのプレー大事にしろってゆっただろー!
・しっかり蹴れー(走れー、振れー、滑り込めーなど)
【レベル2】(横で聞いていても不快に感じたり、怖さを感じるフレーズ)
・おまえ、なにやってんだよ。
・おまえやる気あんのか?
・なぁっ、なぁっ、なぁっ、なんだよそれー。
・あーあーあーあー! おいおいおいおいおいっ!
・(円陣で)こいつのどこがダメかわかるか?
【レベル3】(明らかなハラスメントレベル)
・おまえはやる資格がない。もうやめろ。なぁ、やめろ!
・そんなんだから、お前はダメなんだ。もう来なくていい。
・ばかかー?おまえー。
・〇ぬ気でやらんかい、あほ!
・そんなんだったら帰れ。もうやめちまえ。
※だんだん書くのも息苦しいので止めます。
それでもやっぱり怖い、大人の迫力
さて、もうひとつ、例えば以下はどうですか?
・ここはチャンスだ!わかるか?チャンスだ、集中していこう!ここだぞ!いいな!ここ踏ん張らないとだめだぞ!
・いま言ったことわかるか?わかるか?わかるのか?やるんだぞ!いいのか!返事はっ!?
ちょっと前向きっぽい表現ですし、気合を入れている風なので、一見良さそうではあります。もちろん、言い方や表情によっては良い可能性はあります。しかし、みなさん想像できるでしょうか。語気を強く、大人が怖い顔で大きな声で、念を押す言い方、子供からすれば怖い以外、何の感想もありません。あー怖かった。やだなぁ。また、怒られたらどうしよう。これが心情です。
すべての怒り・マイナスの表現には言い換え方がある
詳しい言い換えについては、さらに別の記事で述べたいと思いますが、上に記載したすべての言葉の裏には、そのときに本当は伝えたかったもっと具体的な内容があるはずですし、さらに前向きに伝えるための言い方、表現方法が必ずあるはずです。人的資本イノベーション研究所では、それをしっかりと考察・研究し、とりまとめて発表したいと考えています。
ここでひとつだけ強調しておきたいのは、マイナスのことや、内心では怒りをともなうようなストレスを感じるときほど、すぐに言葉にして、その場で指摘することを控えることです。実際、グラウンドで少し話を聞いてみると、試合や練習後、少し落ち着いた場面でのミーティングの中で言及するといった工夫をしている監督さんが多くいらっしゃいます。これは非常に参考になります。試合後にグラウンドで、集合して円陣などの場で、すぐに指摘をしている監督さんもいらっしゃいますが、このような、まだテンションが高い状態の余韻が残るシーンで、生徒も監督も冷静に話すのはなかなか難しいようです。結局、語気が荒っぽくなり、怖い口調・表情で、生徒に過度にプレッシャーを与えているシーンをよく見かけます。おすすめは、グラウンドから宿舎に帰った後、あるいは、翌日の練習前など、アドレナリンがおさまり、気持ちが冷静で落ち着いている場面でのコミュニケーションです。そういった場面では、かなり冷静に話ができているシーンをよく見ます。実際、子供たち側も、一晩寝て自分なりに気づくことも多いようで、監督・コーチから何かを言う前に、振り返りのコメントをさせると、なるほどよくわかっているなと感じさせるような言葉を聞くこともできます。また、監督・コーチ側も、一歩引いた目線で、大所・高所からとても良いアドバイスをしているシーンを見ることもできます。これは、真似ができると思います。
子供時代、学生時代のこの記憶は一生残る
わたしが主張したいのは、このような種類の指導(っぽいようで、全く生産的でない言葉)は、どんな理由があろうとも、絶対にやめるべきということです。愛があれば大丈夫、勝つためには仕方がない、そもそも親もそういった指導を望んでいると聞くこともあります。しかし、あえてわたしは主張したいと思っています。愛があってもダメです。勝つための指導方法は他にもいくらでもあるはずです。我々はその研究・開発を決して止めてはいけません。そして、親も自らの体験をそのまま持ち込んではいけないのです。
子供のころに受けた教育は、自分が大人になってもまた子供たちにしてしまうのである、といった論調もありますが、わたしはそのように諦めたくはありません。そもそも、その論調を信用もしていません。その時点、その場面に真摯に向き合えば、大人になってからでも、新しい方法を身に着けられるはずです。発展や進化のためには、古くからこうだから、仕方ないから、とあきらめてはいけないのです。
もちろん、子供によっては、このような大人の強いコミュニケーション、怒りに立ち向かったり、悠然と受け入れたりなど、へっちゃら、という子供もいるでしょう。しかし、そうではない指導、前向きなコミュニケーション、もっと楽しく、ワクワクとした環境がそこにあったら?と思うことも多くなりました。みなさんも思われるはずです。本当にもったいないことだと思います。
これらは、ビジネスのシーンでもそのまま当てはまります。もちろん、ビジネスの場では、もう少しマイルドな指導方法になっていたり、また論理的には妙に正当な言葉に置き換わっていることも多いです。が、逆にこれがなかなかやっかいなので、そのあたりの解像度を少し上げて、問題提起をしたいと考えています。